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花天月地プロジェクト
KatenGetch Project (YMC Inc.)
DATE: 2011/05/18(水)   CATEGORY: ニュース
ギィ・フォワシィの不謹慎
2011年5月19日~24日
シアターχ提携;ギィ・フォワシィ・シアター82回公演
ギィ・フォワシィのブラックな3作
『関節炎』『動機』『誘拐。。。』
演出コメント



ギィ・フォワシィの不謹慎
山崎哲史 2011.5.7

3月11日の東日本大地震による被害は膨大なものとなっています。壊滅状態の町、多くの亡くなられた方々、未だ行方不明の皆さん、続く余震、そして原発事故の影響への様々な不安を考えると、とても終息や復興に向かっているような楽観はできません。
これだけ多くの方々が大切な家族や友人、住居や故郷を失い、被害にあっている状況では、都知事からの「お花見自粛」の要請はさておくとしても、「おめでたい」「万歳」「ハッピー!」などのパフォーマンスは、公の場では慎むべきとされるのは当然なのでしょう。一方で「悲惨な死」や「別れ」を連想するようなテーマも、エンターテイメントには不適切で好ましくありません。例えば、お笑いでそれをネタにしてしまっては、「お客様に笑っていただくため」「被災者を笑いで勇気づける」と主張しても、やはり配慮を欠いたものと言われても仕方ありません。
そういえば、しばらくの間TVのCMも、ずっと「乳がん」と「金子みすゞ」と「ぽぽぽぽ~ん」ばかりでした。つまりこのような「おめでとう」も死や惨事を扱うことも不適切のおそれがある状況では、表現者には慎重さが求められ、作品にも多くの制約が出てくることは、当然のことなのでしょう。

そのような中で、再度ギィ・フォワシィ作品の上演をさせていただくことになりました。フォワシィは、もともと独特のジョークや風刺を織り込んだブラック・ユーモアが魅力で、平時でも結構「不謹慎」な作風なのです。勿論、彼の作品の中には、コメディ・フランセーズにも乗った代表作『相寄る魂』はじめ、穏やかなストーリーの秀作も多数あります。純粋に観客を勇気づけるしっとりとした作品もあります。
ところが、今回ムッシュ・タニから与えられたお題は『関節炎』『動機』『誘拐・・・』の3作。いずれも家族の死が関係しているお話です。もれなくピストルも出てきますし、死人も出ます。もともとブラックな作家とはいえ、これではちょっと間違うと、「不謹慎」の誹りを受けかねません。  (注=作品の選出は震災以前にされたものです)

ところで、演劇は単純に娯楽にとどまらないものであり、架空の世界を通して、社会や人間の様々な問題を扱えるメディアでもあると信じています。今のように、浮かれた「おめでたい」がもたらすの「不謹慎」や、暗く重い死や不安を懸念する「不適切」など、大きなメディアが扱う題材に「タブー」が多いときは、それに付随する大事なテーマが思考停止に陥ってしまう恐れがあるかもしれません。そのようなときこそ、演劇の「ある日、ある時、あるところで、もしも・・・だったら」というフィクションの世界と、生身の身体を通して安全かつ自由に、そして真剣に問題を扱うことが出来る性質に意義があるのではないかと思います。
その意味で、ギィ・フォワシィの作品は、我々の生きている現実とは別の国、別の時間、別の人々のお話として、目の前の「不謹慎」をあくまで普遍的なテーマとして扱えることが出来るのではないかと思います。このような時だからこそ上演する意義がある、とまで開き直る元気はないのですけれども・・・。

 さて、今回上演する三作品について、短い稽古期間や、様々な難しい環境下にもかかわらず、魅力的な俳優の皆さんとの協働によって、予想以上に多くの発見を得て、有意義な創造をすることができましたので、簡単に紹介させていただきます。

一作目の『関節炎』は、ギィ・フォワシィの出世作で、大衆の代表のような「リュルサン」というどこにでもいそうな男と、その対極にあるアウトサイダーである「殺し屋」のコンフリクトと、その傍らにいるボーイさんのお話です。
関節炎に悩む平凡な男が、奥さんの殺害を殺し屋に依頼するという設定は、実話に基づいたものだそうです。その元になった事件も、依頼された殺し屋が警察に通報したことで発覚したそうで、よほど殺し屋のほうがまともで良心的だったという現実社会のブラックさを、フォワシィが戯曲として創作したものです。
リュルサンのように真っ当に働いている市民は、都会の喧騒の中で一生のうちの長い時間を過ごしています。人間本来の感性では耐え難い環境やノイズも、慣れてしまえば心地よく、むしろそれが無いと落ち着かないのかもしれません。反対に、アウトサイダーの殺し屋は、そんな環境やノイズには耐えられません。むしろ、よりまともで人間らしいのです。 結婚後の20年の生活で、ノイズに慣れてしまったリュルサンにとっては、美しい音色は落ち着かない虚無の響きと感じられるようになってしまったのかもしれません。
この「リュルサン」のように、フォワシィが扱う多くは「普通の市民」なのですが、この「一般大衆」こそ、そこらの権力者や資本家や殺し屋より、もっと恐ろしいモンスターなのだと突き付けてくるものがあります。これは昨今の日本の様子を見ていても、心当たりがあるような気がしてなりません。
そして『関節炎』では、その普通の市民のリュルサンと殺し屋という二極の他に、新たに「ボーイ」という第三の存在が提示されます。このニュートラルで色のついていない存在は、右でも左でも西でも東でもない、より人間らしく生きるための第三の道への示唆のように思えてなりません。

二作目に上演する『動機』は、ブルジョワのマダムが、若い人妻を拉致している現場をモチーフにしています。彼女の「動機」は何か、という一見サスペンス仕立てのストーリーに乗せ、美人マダムの苦悩を描くことを通して、そこから見えてくる人間の本質的なものを探ります。
海外の作品を日本で上演する際、どうしても文化的な背景の違いの調整は必要になってきます。宗教や歴史認識を把握しておかなければ、作品の本質がうまく表現できなくなることがあります。この『動機』には、我々には馴染みのない「階級」という問題が出てきます。ソフィアとソフィは、そのままブルジョワジーとプロレタリアートなのですが、ここで些細な事まで差別化をはかろうとするブルジョワのマダムの性質が、おもしろさの一つとなっているのです。
ところが「一億総中流」の日本では、このマダムをどのような存在として捉えてもらうか、そもそも我々日本人の多くは、ソフィア側なのかソフィ側なのか、むしろそんなところにも興味が及んでしまいます。そう考えた時に、これは出来る限り原作そのままの世界を提示させてもらって、この「失われた時を求めるソフィアの話」を、ソフィア、ソフィ、或いは俯瞰と様々な眼線で、可能なら複数回ご覧いただければと思います。
今回の『動機』はA・B贅沢なダブルキャストになっています。同じ台本、同じ舞台美術とは思えないくらい、違ったムードでソフィアの「動機」にアプローチしています。そのように意図したわけではなく、創作の過程で4人の女優さんのそれぞれ経験と身体と感覚を通して、戯曲のソフィア、ソフィとの共鳴点を探った結果、こんな興味深い二作に辿り着く事が出来ました。勝手な妄想ですが、Aキャストの泉関さん×いずみさんのほうは「アンダルシア風」、Bキャストの石巻さん×吉澤さんのほうは「イスタンブール風」なんてムードを感じる稽古場でした。勿論、フランスのお話です。

三作目の『誘拐…』は、Aキャスト・藤堂陽子さんの「ジャンヌ・シャンブール版」と、Bキャスト柳鶴英雄さんの「モーリス・シャンブール版」に分かれて、ことらは意図的にそれぞれ違った創作の旅路を歩みました。
 才能と実績にあふれ、人気絶頂で外面もいいけれども、ちょっとどこか胡散臭い「シャンブール」という冗談のような設定の大スターが、次は国会議員に立候補というとき、これまで疎かにしてきた息子からの暴露によって、その虚飾を剥ぎとられていきます。そして最後は絶句、みんなは溜飲が下がる痛快なお話…というだけにしてしまっては、今ここで敢えて大人の俳優さん達がブラックで「不謹慎」を扱う意義がありません。
なので、作品の方向を変えることなく、第四のキャストである息子「ジャック」の力も借りて、シャンブールのその先はどうなのか、というところまで着地点を伸ばしてみようという創作の探検に挑戦してみました。
今回、これまでの日本での上演と同様に、原作では声だけの出演となる息子の「ジャック」が舞台上に登場しています。この生身のジャックの息吹が加わることで、作品に厚みが加わるだけでなく、何よりもジャンヌ、モーリスそれぞれのシャンブールの作り方に大きな影響が与えられたことは間違いありません。
Aキャストのジャンヌ・シャンブールにとってのジャックは、自分の息子として相応しくなく、期待も裏切られて成長した息子です。その存在を疎ましく思い、自分から遠ざけて生活をさせていました。一方、Bキャストのモーリス・シャンブールは、自分の無責任さや不良親父ぶりは棚上げして、気にせずにジャックも愛していました。しかし息子は父親に反発して家を飛び出し音信不通。ジャンヌ、モーリス共、ジャックとの親子関係は断絶していますが、その背景に違いがあります。意図したわけではなく、こんな裏設定が創作段階で出来上がっていました。
シャンブールは俳優として、スポーツ選手として、作家として、順風満帆に才能を開花させてきた人です。しかし順調なことこそ、実は恐ろしいものなのかもしれません。失敗でもして立ち止まらなければ、少しずつズレが生じていることにずっと気がつかなくなってしまいます。シャンブールは、順調な成功の積み重ねによって、気がつかないうちに少しずつ自分を見失ってしまっています。
今回の『誘拐…』に勝手につけたサブタイトルは、「誰がシャンブールをこんなにしたのか?」その結末、2011年の東京での公演の着地点はどうなるのでしょうか。「不謹慎」を何よりも楽しみにして、それすら娯楽にしているのは誰なのか、そんなテーマを、同時上演の二作品とあわせて、『関節炎』の平凡な市民の家庭、『動機』のブルジョワ階級の家庭、そしてこの『誘拐…』のありえないくらいの大スターの家庭をモチーフにした不謹慎な『ブラック3作品』で問いかけてみたいと思います。
 
末筆ながら、まだまだ難しい状況の中にも関わらず、劇場までご来場いただきますお客様と、今回ご一緒させていただいた何よりも人間的に優れた16人の俳優さんと、ご協力いただいた多くの皆様に感謝いたします。           (了)
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