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DATE: 2011/01/26(水)   CATEGORY: 表現教育
普及へ。
1950年代のロンドンの演劇事情を、演劇史家R.フィンドレターは、「汚れた商売」(The Unholy Trade)と嘆いた。社会から乖離した混乱のビジネスに支配され、俳優は自分に合うように古典作品を仕立てあげるように要求し、劇場はそれに支配されていた。安易なスター芝居が蔓延するウェストエンドに訪れる観客は、中産階級の中高年ばかりだったと語る。テレビ時代の来訪とともに、英国の各地でいくつかの劇場が閉ざされようとしていた時期でもある。
しかしながら、英国に「国立劇場法」ができたのもこの時期であることを考えれば、わが国の演劇状況は60年の遅れをもって、本質的には戦後間もない英国と同様の状況にあると自戒すべきかもしれない。発展途上という、成熟の前段階にある転換期を認めないまま、急激かつ無計画に繁殖しようとしているのではないだろうか。

英国はその後、ナショナルシアターの設立やフリンジと呼ばれるオフ・ウェストエンドの活力が、新しい演劇の発掘と才能の創造を支えてきた。現在の我が国においても、劇場の大小を問わず、日々多くの上演が行われている。しかし、主として一部のカンパニーと、公演の関係者を除けば、そこに集うのはまさに「中産階級の中高年」、さらには女性が大多数であることは否めない。若者や紳士の多くは、映画館やライブ、スポーツ観戦には時間と小遣いを割くものの、日々どこかで上演されている劇場にそれが向くことはないのが現状である。
この背景が、市民の演劇への不理解であることを考えなければならない。多くの日本人は、10歳未満のときに学校教育の中で初めて「演劇」と出会う。「学芸会」の稚拙なパフォーマンス、「鑑賞教育」と称される観劇、学校という逃げられない場所で、これらを唐突に強制され、それを好体験として演劇を志す者も含めて、これが「演劇」なるものと刷り込まれてしまう。そして、一般教養としての演劇の知識や、様式や、扱う領域の広さも知る機会のないまま、多くは演劇嫌いとして成長してきたのである。

しかしこれを、芸術教科としての「演劇」が存在しないなど、教育制度の中に問題を押し付けるべきではない。そもそも、演劇を普及するための活動は、学校に求めるものではなく、ゆとり教育によって出来た時間に、地域の劇場や劇団が引き受けるべきものである。なによりも魅力的な演劇の世界を、正しく楽しく伝えることができるのは演劇人であるはずである。
現在の演劇活動は上演に偏り過ぎている。そして、公演は飽和状態となり、演劇を志すものにも、優良な活動条件を提供できなくなっている。戦後、英国ではショーンウッドのシアターワークショップ活動のように、市民を巻き込んだ普及活動が、演劇が社会に根付くことを支えた。わが国でも、上質な公演を作り上げるだけでなく、市民に対して演劇への誤解を解き、魅力を共感する潜在的な創客のための普及活動が必要であり、それこそは演劇人の責務であろう。山崎哲史(了)
(参考文献)中山夏織・著『演劇と社会』2003美学出版 ほか
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